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靖国神社問題-3

靖国神社をめぐる問題の根本には、A級戦犯といわれる方々の「合祀」というのがある。
 ── A級戦犯といわれる方の名誉や、そもそも極東国際軍事裁判の賛否という点も論点とされるが、これは、国際社会とのつながりや、戦後の経緯からも、簡単に解決する問題では決して無いと思われる。当然、だからこそ戦後60年、現状は続いている訳だ。──
 しかし、その前に、戦後の靖国神社のあり方や「戦犯合祀」そのものを論議したり、理解しておく必要が日本人自身にあるのではないだろうか。

 国家宗教としての靖国神社から、戦後、宗教法人法の施行(1952年)により、東京都から認可を受けた宗教団体としての一宗教法人になった。また、日本の最後の戦争による戦死者は、国によって強制して合祀されている訳ではない。国が行ったのは、改正「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」により戦死者を公務死として認める範囲を(軍人・軍属以外にも)広げた事と、それに伴う第一・第二復員省の作業を引き継いだ厚生省による合祀事務協力だ。昭和31年4月、厚生省引揚援護局長名の通達が出され、事実上、官民一体の合祀作業となったようだ。
 ── だが上記通達について、昭和60年11月の参院予算委員会で社会党野田哲議員の「憲法の政教分離に反する」との追及に対し、当時の厚生大臣は、この通達そのものを「不適切だった」と撤回している。
 これについては、現在の尺度としての発言だったとも、偏狭な憲法解釈に屈したものともいえるだろう。戦前や戦中に、軍人・軍属に対する国家としての約束事であり、その約束を日本政府として果したのだから、道義的な理由だとしても評価されるべきではないだろうか。そもそも、現憲法制定以前の問題なのだし、現憲法の下で解釈すべき問題なのだろうか。
 ただし、通達では三年と期限を区切っているが、実際には昭和46年まで続けられたというから、引きずり過ぎている観は否めない。──
 この厚生省引揚援護局による「祭神名票」を受け、靖国神社の判断(戦犯合祀に関しては崇敬者総代会の決議)で合祀判断されたという。その合祀者名簿が天皇陛下に渡り、最終的には天皇陛下によって「裁定」されたらしい。この辺は、創設が明治天皇の御心にあったことからも、天皇家(皇室)との所縁が色濃く滲んでいる部分だろう。だとしても、一宗教法人がその宗教観で神事を行っていることには変わりない。

 さて、最も問題とされるA級戦犯と呼ばれる方の合祀だが、国内の世間では様々な言われようだ。国外とご同様に「戦犯など言語道断だ」「天皇陛下でさえ参拝されないのに、総理大臣が参拝するのは・・・」云々。ひとまず、戦犯をどう捉えるかは置いておく事にして、この天皇陛下の参拝取止めについて考えてみよう。
 私は、単に皇室と靖国神社との確執だと考えている。このあたりについては、deadletterさんのブログ記事-「不敬」であるのは誰か?を読んでみると経緯などが分かりやすく、<「現代史の対決」:秦郁彦著>に書かれた説は非常に面白く感じる。こうした経緯を見ると、皇室の靖国神社に対する権威を考えれば、確執からの参拝取止めは想像に難くない。
 では、なぜ昭和天皇は合祀に反対なされたのか? 今となっては、その御心を知ることもできない。だが、上述のブログで紹介されている通り、陛下自身、戦時指導者、後にA級戦犯とされる人たちに対して、国の行く末を誤らせたと厳しい批判を行っていた、と<昭和天皇独白録>から窺い知る事ができるという。
 従って、天皇陛下を引き合いに出して、総理大臣の参拝を問題視するのは無意味だと言うことだ。現在の国政の長としての立場と、当時の国政と靖国神社とに責任があったお立場は、まったく別と考えるべきではないだろうか。
 つまり、戦犯と呼ばれる方の合祀は、宗教内の問題として解決すべきだとも言える。国政に向かって、分祀を論じようとするのは、明らかに間違いだろう。逆に、それが、靖国問題を分かり難くしているのだろう。

 現在、靖国神社には、2,466,532柱の戦没者が祀られているという。その内、A級戦犯といわれるのは14柱。不謹慎ながら、全体に占める比率に置き換えれば、0.000568%なのである。この数字から、A級戦犯をして靖国神社を参拝あるいは追悼に訪れる事を非難するのが、いかに心の狭い考えかを想像できる。
 A級戦犯と言われる方が祀られているだけで、靖国神社を参拝することが戦争賛美だと言えるのだろうか。もしそうだと断言するのであれば、それは0.000568%の想い(心)に過ぎない。残りの99.999432%は、純粋な戦争に対する反省と追悼の心と言い切れる。
 靖国神社を知ろうとする時、どうしても誇張して表現されるのが戦犯と言われる存在だ。代名詞のようにもなっている。だが蓋を開けてみればどうだ。この数字である。金属に喩えるなら、ほとんど不純物が含まれない純度の高い無垢だ。それほど純粋で、痛切な真心だという事だ。

 日本人同士でさえ、靖国神社を問題化して、いつまで馬鹿馬鹿しい議論を続ければ気が済むのだろうか?



※deadletterさんへ
 ブログ記事へ無断でリンクさせて頂きました。
 意図した内容と違う形でのリンクとお感じでしたらご容赦下さい。



─ シリーズ ─
靖国神社問題-1
靖国神社問題-2
・靖国神社問題-3
靖国神社問題-4
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